10月3日午後から金沢市で、歴史建造物整備課から「歴史的文化的景観保全の取り組み、金沢城惣構の保存・活用に向けた取り組み」について、市民協働推進課から「旧町名復活の取り組み」について説明を受けました。
金沢市のまちの基礎は、今から四百年以上前、この地域を統治した加賀藩前田家によって確立されました。歴代藩主は、いずれも争いを避けて学術・文化の奨励・普及に努め、また、第二次世界大戦においても、まちは戦禍に遭うことなく、現在でも藩政期の遺構や往時のまちなみが残っています。
まちづくりにおいては、旧市域の歴史文化遺産の保存・整備や景観の保全に努めているが、一方でまちの活力を高めるため、まちの中心部から金沢駅、そして金沢港に至る都心軸を開発・近代化する「保存と開発の調和」を基本に据えた取り組みを行っています。
金沢市は、全国の自治体に先駆け、昭和四十三年に「金沢市伝統環境保存条例」を制定し、伝統環境を保存するとともに、「こまちなみ保存条例」や「用水保全条例」など、景観やまちづくりに関する19の条例を制定して、歴史的なまちなみや潤いある水辺空間の保全に努めています。
特に、用水は、55本、延べ150キロメートルあり、清流が美しく、金沢らしい景観を構成する重要な要素であったが、車社会の進展により、駐車場を確保するため用水の上にふたがかかり美観上問題となっていた。その景観を改善するため、ふたを取って開渠化し、用水の上へせり出すように歩道をつくったところ、人通りが増えて、商店街が活性化されています。
また、旧市域において伝統的建造物の面的保存に取り組んだ結果、ひがし・主計(かずえ)町茶屋街は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その美しいまちなみから市を代表する観光地となったほか、住人でもあった芸妓等の伝統芸能が継承され、金沢文化の発信地ともなっています。
なお、金沢市は、歴史まちづくり法に基づく「金沢市歴史的風致維持向上計画」の申請を国に行い、21年1月、第1号で認定された。
平成26年末の北陸新幹線の金沢開業に向けて、無電柱化の推進をはじめとしたハード面での整備やソフト面では文化的景観の保全など、「歴史都市」としてさらに磨きをかけています。
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金沢市の旧町名の復活の意義は、
①「自分の住んでいる町の名前に誇りを持つ。その誇りが町への愛着につながる。さらにその愛着が住む人同士の連帯へと連なる。この連帯のこころがまちをつくると考えます。町のみんなで支え合うこころが、21世紀の時代には必要です。」と市は考えます。
②旧町名復活の目的は、単に昭和40年頃の町名に戻すことではなく、支え合うこころ、連帯のこころによる未来に向けたまちづくりを目的としています。
平成16年に旧町名復活の推進に関する条例を制定し、現在11町で旧町名が復活しています。主計(かずえ)町は、昭和40年代に尾張町2丁目〇〇番〇〇号に町名が変更となりましたが、昭和11年10月に主計町〇〇番地に戻りました。但し、地番は旧地番とは異なっています。
町名復活は、単位町境ごとに実施され、区画整理事業と同様に新しい地番がふられています。町境はコンサルに委託して調査し、法務局の手続きは市民協働推進課が実施しています。
旧町名には、昔の職業の名前がつけられている町もあり、あくまで地元からの発議を前提としています。
概ね、3000~5000㎡を対象区域とし、町名復活に向けた事前準備や復活後のまちづくりに対して年間10万円(5年間)の補助金を支給しています。
また、町名復活に伴う、住所等の変更に伴う費用(表札やハンコ、住所変更の登記費用など)への助成も行っています。
中津市においても、昨年の9月議会で、旧町名復活に向けた事務作業に入る旨発言していますが、具体的な動きが見られないため、再度12月議会で一般質問を行いたいと思います。
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