活動報告
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2011/08/26:沖縄・平和を考える旅(28日まで)
沖縄・平和を考える旅(28日まで)

 8月26日から28日の3日間、沖縄の戦跡を巡る「沖縄平和の旅」に参加しました。
 昭和20年4月1日に沖縄本土に上陸した米軍は、およそ3カ月間、「鉄の暴風」と呼ばれるおびただしい数の砲弾を撃ち込み、沖縄の風景を一変させ、軍民20数万人の死者を出しました。
 今回の旅は、沖縄の戦跡を巡り、過酷な状況下で沖縄県民が如何に戦争と向き合ったのか、また軍隊が住民のために何をしてくれたのか等を学ぶことができました。
 戦争のない平和な日本を創るため、私も精一杯頑張ります。
 写真;「糸数壕(アブチラガマ)」の出口

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「糸数壕(アブチラガマ)」
 糸数壕は、全長270mの壕で、当初住民の避難壕として使用されていましたが、日本軍は陣地として接収し、後に南風原陸軍病院の分室として使用されました。
 壕の中には、電気もなく真っ暗な中で、住民・兵士は過ごしたそうです。

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「ひめゆりの塔」
 

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「辺野古の座り込みテント」
 辺野古新基地建設を阻止するために設置された「座り込みテント」では、地元の「命を守る会」が、監視行動を続けています。
 

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「伊江島の城山(タッチュー)」
 伊江島には、現在米軍の基地とハリアー訓練場の飛行場があります。
 城山は、島の中央部にある岩山で、山の形が変わってしまうほどの米軍の砲撃があったと聞きました。
 防衛省の補助事業として整備された展望施設建設の補助率は、なんと90%。通常50%の本土とは比べようもない高い補助となっています。

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「南風原陸軍病院壕」
 当初、ひめゆり部隊の生徒約200名は、この病院壕に動員されました。
 軍の撤収に伴い、重傷者や重病人は、この壕で青酸カリや手りゅう弾で、自決を強要されたとのことです。

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「チビチリガマ」
 ガマに避難していた住民約140名中83名が「集団自決」した場所です。
 いまだに、遺骨の調査が実施されておらず、ガマの中には立ち入ることができませんでした。
 「集団自決」とは、「国家のために命を捧げよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すなかれ」といった皇民化教育・軍事主義教育により強制されたものです。

沖縄・平和を考える旅(28日まで)












「普天間飛行場」
 嘉数高台公園は、日米両軍が16日にわたって激戦を繰り広げた場所です。そこから見た普天間飛行場のすぐそばには、民家が密集し、ヘリが墜落した沖縄国際大学も滑走路のすぐそばにありました。